25年前の「深セン駐在妻」は,こんな生活をしていました!

15年前、広州には今ほど日本人が駐在しておらず、特に深センに至っては「恐ろしいところ」「足を踏み入れてはいけないところ」という認識がありました。

たまに気晴らしに行く香港は広州から電車で1時間半、途中、深センを通ります。

きらびやかな香港から深センに入った途端、突然景色が一転、一見して貧しいとわかるアパート群や怪しげなビルが目に入って来たものです。

今となっては信じられないことです。

だから当時、深センに日本人駐在員は多少いましたが、駐在妻はあまり多くなかったと記憶しています。

その当時から更に10年遡った1995年。今から25年前、深セン郊外に一人の駐在員と太太(奥さま)が駐在していました。

当時、「駐在妻」がどんな生活を送っていらっしゃったのか気になりますね。

手元に資料がありましたので、ご紹介したいと思います。

深センの郊外、宝安区で日系の工場に生産管理部マネージャーとして派遣されていたNさん。新婚のNさん夫妻のお宅は工場から5分のところにあるマンションで、日本の公団住宅のようなイメージです。今では外国人専用マンションや日本人専用のマンションもある中国ですが、当時の深センにそのようなものがあるわけがなかったのです。

間取りは2LDK。一見快適そうに見えますがインフラは不十分で、大雨や雷ですぐに停電し電話が不通になったそうです。マンションの階段はネズミ退治の薬の匂いが漂っていました。

そして水道からは茶色い水が出るので、歯磨きするのにも運んできた水を使っていたそうです。

日常の買い物は家から徒歩数分のスーパーで。香港系のスーパーなので品揃えは悪くないものの、生鮮食品は地元の市場で買っていたそうです。ただ、市場の肉にはハエがたかっていて衛生面が気になるため、休日になるとご主人とリュックをかついで香港に「買い出し」に行かれていました。でも、「観光をする余裕は一度もなかった」と語られていて、生活物資を確保するのが如何に大変だったか分かります。

そして最大の問題はやはり治安でした。

赴任した当初のことを、奥様は「色んな匂いが鼻をつくし、みんなが悪い人に見えた」と語られています。

Nさんの勤務する工場では、金をたかりに来たチンピラを公安に通報したガードマンが手りゅう弾で脅され、「ガードマンが公安の送り迎えで工場に通う」ほど治安が悪かったのだそう。公安の振りをしてマンションに入り込む強盗もいたそうです。

だから奥様が一人で出かけるのは近所のスーパーのみ・・・。

そんなサバイバルな毎日でも、奥様はマンションの1階にある食品店で「日本語オンリー」でリンゴを値切ってまけさせたり、笑顔で逞しく生活を送っていらっしゃったのです。

国際電話は目が飛び出るほど高く、もちろんインターネットもなかった1995年。周りに日本人がいない環境で、ご主人と二人きりで奮闘されていた駐在妻Nさん、本当に頭が下がります。

15年前、広州には今ほど日本人が駐在しておらず、特に深センに至っては「恐ろしいところ」「足を踏み入れてはいけないところ」という認識がありました。

たまに気晴らしに行く香港は広州から電車で1時間半、途中、深センを通ります。

きらびやかな香港から深センに入った途端、突然景色が一転、一見して貧しいとわかるアパート群や怪しげなビルが目に入って来たものです。

今となっては信じられないことです。

だから当時、深センに日本人駐在員は多少いましたが、駐在妻はあまり多くなかったと記憶しています。

その当時から更に10年遡った1995年。今から25年前、深セン郊外に一人の駐在員と太太(奥さま)が駐在していました。

当時、「駐在妻」がどんな生活を送っていらっしゃったのか気になりますね。

手元に資料がありましたので、ご紹介したいと思います。

深センの郊外、宝安区で日系の工場に生産管理部マネージャーとして派遣されていたNさん。新婚のNさん夫妻のお宅は工場から5分のところにあるマンションで、日本の公団住宅のようなイメージです。今では外国人専用マンションや日本人専用のマンションもある中国ですが、当時の深センにそのようなものがあるわけがなかったのです。

間取りは2LDK。一見快適そうに見えますがインフラは不十分で、大雨や雷ですぐに停電し電話が不通になったそうです。マンションの階段はネズミ退治の薬の匂いが漂っていました。

そして水道からは茶色い水が出るので、歯磨きするのにも運んできた水を使っていたそうです。

日常の買い物は家から徒歩数分のスーパーで。香港系のスーパーなので品揃えは悪くないものの、生鮮食品は地元の市場で買っていたそうです。ただ、市場の肉にはハエがたかっていて衛生面が気になるため、休日になるとご主人とリュックをかついで香港に「買い出し」に行かれていました。でも、「観光をする余裕は一度もなかった」と語られていて、生活物資を確保するのが如何に大変だったか分かります。

そして最大の問題はやはり治安でした。

赴任した当初のことを、奥様は「色んな匂いが鼻をつくし、みんなが悪い人に見えた」と語られています。

Nさんの勤務する工場では、金をたかりに来たチンピラを公安に通報したガードマンが手りゅう弾で脅され、「ガードマンが公安の送り迎えで工場に通う」ほど治安が悪かったのだそう。公安の振りをしてマンションに入り込む強盗もいたそうです。

だから奥様が一人で出かけるのは近所のスーパーのみ・・・。

そんなサバイバルな毎日でも、奥様はマンションの1階にある食品店で「日本語オンリー」でリンゴを値切ってまけさせたり、笑顔で逞しく生活を送っていらっしゃったのです。

国際電話は目が飛び出るほど高く、もちろんインターネットもなかった1995年。周りに日本人がいない環境で、ご主人と二人きりで奮闘されていた駐在妻Nさん、本当に頭が下がります。